機械化の進む飲食店
ファミレスや居酒屋などの飲食店の卓上風景が変わってきています。専用のタブレットPCやQRコードを読み取らせて来店客自身のスマホで注文できるようなシステムのためのポップが随所に並んでいます。全国的に働き手不足が叫ばれる中、チェーン展開している多くの飲食店においては、そのような自動注文システムを導入しています。利用者目線でも、好きなものを好きなタイミングで店員さんの忙しさなど配慮せずに注文できてしまうシステムは便利に思うこともあります。「オーダーを聞く」だけであれば確かに機械化できてしまうという判断なのでしょう。
機械化”しない”飲食店
一方、大繁盛店であるのにもかかわらずそのようなシステムを導入しない判断を取っているお店もあります。私がしばしばお邪魔する焼き肉店さんがあります。そこは、とても人気があり、いつ行っても大盛況です。大盛況なだけにいつも店員さんは忙しそうです。でも、一向に自動注文システムを導入するような気配がありません。なぜこういった設備投資をしないのか店長さんに聞いたところ、人気店が故の非常に納得感のある回答がありました。
いつも贔屓にしてくれる常連さんはその日のお勧めを聞いてきてくれて、本当にお勧めと思ったものをいつも回答していると、値段の確認を求められることもなく、喜んでそのお勧めをオーダーしてくれるようになる。そして次もまた来店してくれる。そういう関係は自動注文システムを入れてしまうとなくなってしまう。
といった感じの回答でした。そういうやり取りをしている際に、「グラス空いていますが次何のみます?」って聞かれました。ついつい「じゃあ同じものをもう一杯」って発注してしまいました。この会話は一通り食べ終わった後のことだったので、間違いなくこの店主さんとの会話がなければお代わりせずにお会計をお願いしていたところです。思い返せば自動注文システムを利用したオーダー場面では、私はいつも価格を見て判断していました。そしていつでもお会計総額が見えるので、ちょこちょこ確認して自分でセーブしたりもしていたように思います。
「価格」と「価値」の違い
その繁盛している焼き肉屋さんは決して安売りのお店ではないです。焼肉チェーンとは比べては失礼なほどのお肉を提供しており、当然単価も高いです。そして先ほどは話に出た「お勧めの品」は特に高価格だったりします。でも高価格だからと言って、不満足かといえば全く違います。高価格でも大満足を得られるお店だと思います。「価格と満足は反比例ではない」ということを教えてくれる存在です。それはきっと高い商品力を前提としながらも、安易に安い「価格」で売っているのではなく、上記のような接客面で「価値」を作りながら売っているからなのかと思います。
私の個人的な言葉の定義に過ぎないのですが、以下のように考えています。
価格:目に見える客観的事実
価値:目に見えない主観的、観念的なもの
一例としてのスマートフォン
例えば、Iphoneなんかも価格ではなく価値で人々に訴求している代表的なモノかと思います。身近にいる人でIphoneを利用している人に、なぜそれを選んだのか聞いてみました。「appleでそろえているから」「シンプルで使いやすいから」「周りのみんなも使ってるから」「かっこいいから」といった感じの回答が多くありました。Iphoneが世界中で求められ、それを生み出す企業が世界最高の時価総額を誇っているのは、価格競争にさらされないように、自社の製品や自社の存在自体の「価値」を大事にしているからでしょう。Iphoneの生みの親であるスティーブジョブスが徹底的にデザインやシンプルさ、操作性等にこだわっていたという逸話は多くの人が見聞きしたことがあるものと思います。
一方、私個人はiphoneを利用しておりません。携帯電話の機種選びにおいては「価格」を判断基準にしているためです。最低限必要な機能やスペックを具備している機種の中で最も安価なものを探すという方法で機種選びをしています。結果として私の利用用途においては10万円以上もする高品質な機種を利用する必要がないと考えています。「ブランド」や「信頼感」といった主観的なものは、携帯電話の機種選びにおいては、私の必要とするものではないため考慮したことがありません。そして提供してくれるメーカーに愛着はないので、おそらくより低価格な商品が出てくればさらっと乗り換えることでしょう。こういう私みたいな特定企業へのロイヤリティの低い顧客をターゲットにするビジネスは大変だと思います。機能さえ具備すればいいわけですから、常に価格競争にさらされ、ライバルも多いでしょう。
信頼し、信頼されるために
不動産業界においても「価格と価値の違い」というのは常に認識していかないとならないと思っています。
私が営業の最前線で従事している時のことを思い返してみても、実に様々なお客様がいらっしゃいました。振り返ってみてなんとなくお役に立てたことが多いと思うのは、ご自身のご希望やお考えが明確なお客様ではなく、漠然と不動産の売買について考えている、といったような希望やお考えが明確ではないお客様だったように思います。
私が営業の時に心がけていたのは、私を信頼してもらい、私も信頼できる、そして私だからできることを突き詰めるといった関係をより多く作るということでした。もちろんそれに近いことができたこともあれば、まったくできなかったこともあります。そして自分の対応可能幅が狭い状態でいるのは望むものではなかったので、常にその幅を広げる努力も行ってきたつもりです。
担当者だって人間
私が経験則上そうなっていったのは、ある種の虚しさが原因だったと思います。ご希望が明確なお客様は、私だけではなく、広くあまねく不動産業者とお付き合いされていました。そして、ご希望の物件が他で売りに出されれば当然に、私ではなく、その物件の広告元にいらっしゃっていました。そういったご希望条件が明確なお客様にとっては、不動産の担当者が提供できる機能はいわば物件情報の通知機能だけだったように思います。そういったお客様にとってはそこにいる担当者からの提案や意見などは邪魔なだけの無意味なものだというのは容易に想像できます。私が顧客側の場面でも明確に欲しいものが定まっているのに、接客担当者があれこれ言ってきたらただうっとうしいだけだと思います。
自己満足な世界なだけなのかもしれないですが、「不動産」というその人の人生を大きく変えるような判断に携わる立場からみて、そういう関係は「さみしい」と感じてしまいました。私が青二才だからと言われればそれまでですが、やはり人である以上、誰かに貢献したいし、喜んでいただきたい。そして私自身がその人にとって意味のある存在だったと感じたいです。しかもそれがお客様にとってのとても大きな決断の場面であるということであればなおさらです。「誰でもいいんだけど・・・」と言われているに近い状況を肯定できるほど割り切った企業戦士にはなれませんでした。
陳腐化していく「機能」として
そして何よりも、ある種の機能だけを求められるような仕事はシステムや機械に代替されやがては淘汰されて行ってしまうという現実問題もあります。単にオーダーを聞くという業務は自動発注システムに置き換わりましたし、新規流通物件をお知らせするという機能は不動産ポータルサイトがそういった機能を具備し始めています。体感的に感じてきたことではありますが、やはり価格勝負ではなく、価値にこだわるべきということがより現実的な課題として目の前に顕れてきています。
「私たちがお客様に期待されていることってなんだろう。」
「私たちが提供できる価値って何だろう」
以前から考えていたことではありましたが、最近はより頻繁に思いめぐらせるようになりました。この普遍的に思える問いに対する回答は、実はすでに出されているものでした。
2007年ころに当時在籍していた社員全員で同じことをすでに考え、話し合い結論を出していました。もちろん弊社HPでも掲げています。2007年当時の私はまだ駆け出しのころで、作成に携わってはいましたが、深くは理解できていなかったように思います。今ようやくたくさんの経験(良いものもあれば悪いものも)を経て、先人たちが気づき守ってきた価値観を理解できるようになってきました。
この「夢」は人それぞれなものでしょう。住まいを買うこと自体を「夢」ととらえている方もいれば、私のように別の「夢」を持っていることもあるでしょう。弊社社員も含め、一人一人にとっても異なっていいと思っています。共通すべきはみんな違う「夢」を住まいを通して実現していくことだと思っています。
私たちの店頭には日々たくさんの、そしていろいろなお客様がいらっしゃいます。敷居が低いとは言えない不動産業者に足を踏み入れていただくだけでも大変ありがたいことです。全員の「夢」を実現できることは難しいのかもしれませんが、一人と一つを大切にしながら、私たちならではの「価値」を提供し続けられるような存在でありたいと思っています。